陰陽師とは何なのか? どんな役割を担ってきた人々なのか

陰陽師とは何なのか? どんな役割を担ってきた人々なのか
 
現代において「陰陽師」というと、小説や映画、ドラマ、漫画などを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
夢物語。
非現実的な存在として描かれる機会が多いですが、歴史を紐解けばれっきとした公的な職業のひとつでした。
天武天皇の治世672年に陰陽寮が開設してから、陰陽五行思想を礎として発展した陰陽道に従って占筮・占星・漏刻などの業務を掌握してきたのです。
 

国家機密として扱われていた「占筮・占星・漏刻」とは?

国家機密として扱われていた「占筮・占星・漏刻」とは?
 
■占筮(せんぜい)
占筮とは、筮竹(ぜいちく)と呼ばれる用具を使用して吉凶を判断する占術で、現代では民間の占い師や祈祷師の間で受け継がれています。
儒教の「易」の哲学に従って卦(け)を立てて占う占術です。
変筮法、中筮法、略筮法といった種類があり、筮竹を18回数えて6画の卦を得る方法を「本卦」と呼びます。
 
■占星
世界各国に星を読む占い手法が根付いていますが、陰陽道における占星は、やはり中国天文学の理論を受け継いだものです。
中国の古典にある天地創造の始まりは「天地未だ形(あらは)れざる」とあります。
天・地が形になる前に「世界」があり、そこから天地が形成されたという解釈でいいでしょう。
 
日食、月食、流星、彗星、超新星の出現、星の見え方、これらを九星図と易の哲学に従ってそれぞれの表す意味を読みました。
「地相」と並べられることが多い占術で、自然災害や大きな運勢とその変化を察知したり、暦を作成したり、あるいは吉日凶日を知るために運用されてきた来歴を持ちます。
 
■漏刻
かつて時間を測る時計は大掛かりな装置が必要でした。水の漏出した量を水面の高さで測り、これによって時間の推移を知る「水時計」です。
その管理も陰陽寮の重要な役割で、初めて作られた水時計は天智天皇の皇太子時代のものだったと言います。
 

役割ごとに違った「方技」の名前

陰陽寮の役人には、担う役割ごとに異なる「方技(ほうぎ)」の名前がありました。方技とは技師という意味です。
すべての職務を含めて陰陽師と呼ぶこともありますが、それだけ陰陽師の担う「占筮・地相」が重要な存在だったのだと考えていいでしょう。
 
天文博士、陰陽博士、陰陽師、暦博士、漏刻博士などの各職があり、「陰陽師」はそのなかのひとつに過ぎませんでした。
現代にこの役職名が陰陽道の代名詞として残っているのもそのためです。
 
国家機密の担い手として活躍していた陰陽道の博士たちは、時代に翻弄されてその立場を二転三転させられました。
平安時代には実質的に「国家機密」という立場は破綻していたようです。
 
しかし、武士が活躍した凋落の時代、復興の時代を経て、現代においても節句のお祝いや、家を新築する際の地相・家相診断などのような形で、日本人の生活の中に陰陽師の活躍が残っています。