古代日本の陰陽道は卜占から始まった

古代日本の陰陽道は卜占から始まった
 
万物の巡りを学問として解き明かそうとして生まれた陰陽五行の思想は、古代の日本で陰陽道として花開きました。
かつて国家機密を扱っていた陰陽寮と、そこで働く陰陽師達は一般市民の人々からすれば得体の知れない存在だったと思われます。
星の巡りを管理し、生活の基盤となる暦を編纂する役職は国家を左右する重要な役職だったのです。
 
しかし、近年では映画の題材に取り上げられたり、漫画の主人公として描かれたりと、「陰陽師」の実態はともかくとして、その職業名についてはすっかり市井でも身近なものになったのではないでしょうか。
 
陰陽師と言えば安倍清明」と思う方も多いはず。確かに安倍清明は陰陽道の大家ではありますが、歴史を紐解けば連綿と続く系譜の中の一人に過ぎません。
この国は黎明期から陰陽道によって政治を確立してきたのです。記録に残されている始まりは統一国家以前のもの。資料として「魏志倭人伝」という史書が残されています。
 

「魏志倭人伝」に見る陰陽道の運用

 
「魏志倭人伝」によると、この国の陰陽道が当時黎明期にあったことがよく分かります。
道の運用方法は主に卜占で、骨を焼く方法、亀の甲羅を焼く亀卜(きぼく)が柱となっていました。
 
「その俗挙事行来に云為する所有れば輙ち(すなわち)骨を灼きて卜し、以って吉凶を占い、先ず卜する所を告ぐ、その辞は令亀の法の如く、火拆を見て兆しを占う
 
この時、火や骨のひび割れを見て吉凶を判断する役職の存在を「卜部(うらべ)」と言い、垂仁天皇三十四年の時代には、天皇の付託によって国家事業や天皇の健康を占う「神祇官」が20人に達していたそうです。
卜部を管轄する神祇官が組織化して、その後の陰陽寮の祖となったと考えられます。
 

亀卜はどのように物事を読んだのか

亀卜はどのように物事を読んだのか
 
最も原始的な卜である亀卜は亀筮の占法として知られています。
紀元前1100年以前の時代には既に大陸で運用されていた気配が残っており、遺跡から多くの亀甲が出土してそれを証明しているのです。
 
亀の甲を火で焼き、その炎やひび割れ方で吉凶を占う
ごく単純な方法ですが、ではそこから人々はどのように物事を読んだのでしょうか?
 
定説としては、海亀の甲羅を火であぶり焼きしつつひび割れを見たとされてきました。
しかし、実はもっと複雑な作法があったのではないかとも考えられています。
 
というのも、現代においてもかつての神祇官の系譜が生存しており、民間伝承としてではあるものの、いくつかの占筮法が伝えられているからです。
 
それによると、亀甲に下ごしらえとして占いの文様とともに四角い「鑚(さん)」を彫り込み、その部分に「ははか木」という棒を押し当てつつ焼く。
そして表からひび割れの様子を見て占うのだとか。
 
肝心のひび割れの読み方については、残念ながら律令期当時の知識は現存していません。
ただ、大正時代に編集された「対馬亀卜談」の中にはいくつかの例が記されており、ひび割れの尾が左曲りであれば「病凶」、右曲りで「病吉」、まっすぐで「悪」とあります。
 
もちろんこれがすべてではありませんが、吉凶を読む手がかりとして、古代において重要視されてきたことは間違いないのです。
信じるかどうかは個人の自由ではありますが、もしも興味があるようでしたら挑戦してみると面白いのではないでしょうか。