人はなぜ死ぬと神様になるのか

人はなぜ死ぬと神様になるのか

日本の宗教、神道では神社にご祭神をお祀りしています。
「神社」「大社」「神宮」「宮」など呼び名はさまざまですが、近代社格制度が廃止になった今、すべての施設は神社のひとつという認識で問題ありません。
 
ただし伝統や格式、ご祭神の神格にはやはり階級があり、神代のご祭神を祀る神社があるかと思えば、後世に名を残す実在の人物を祀る神社があります。
最も古い歴史を持つ別格、社格の順に評価することすらはばかられた最尊貴神社、伊勢神宮を始めとして、天照大御神(あまてらすおおみかみ)素盞嗚尊(すさのおのみこと)伊邪那岐命(「いざなきのみこと」あるいは「いざなぎのみこと」)伊邪那美命(いざなみのみこと)など、国生みに関与した神々が名を連ねています。
 
しかし、時代が下ってから創設された神社では、実存が確認されている天皇や貴人が死後に神格化され、霊鎮め(たましずめ)の名目で国玉として祀られるようになったのです。
八幡神社では応神天皇。
天満宮(天神神社・北野神社・菅原神社)では菅原道真公。
地方では上杉謙信公や徳川家康公、テレビで放映されていた時代劇「水戸黄門」の主人公だった徳川光圀公を祀る神社もあります。
 
また、1869年に建立された東京、靖国神社は度重なる戦争で失われた英霊を祀っています。
戦犯として批判された人々も祀られているため、政治家の参拝には国内外から意見が集まるわけです。
 

「神格化」の考え方

「神格化」の考え方
 
古事記に名前が載っている神々が祀られるのは当然ですが、それではなぜ後世の天皇や貴人が死後に神格化され、神として祀られているのでしょうか。
そこには古代日本人の死生観や思想をひもとく必要があります。
というのも、「人」と「神」は本来隔絶されているもの。それぞれ東と西に居を構え、別の世界に存在するのです。
 
しかし、死は現世からの離脱であり、東と西をつなぐ中央への旅立ちを意味します。
神界である西方世界と人間界は時間的、空間的な断層を挟んで存在しており、死者の居場所はそれぞれを連絡する空白地帯に位置するというわけです。
この中央分離帯は人というよりも神々の領域であり、生と死の循環から離脱した人間はその位相から神々の領域に移行すると考えたのでしょう。
 
歴史上、死後も人々に大いなる影響を与えた人々が確かにいました。
彼らの霊魂、あるいは魂魄が循環のくびきを離れ、個としての特性を有したまま神格化し、荒ぶる御霊になったことは一概に否定できません。
 

神々はご利益を与えてくれるのか

神代の神々にしろ、後世の神々にしろ、神社に祀られる御柱にはあまりにも人間らしいエピソードが付随します。
目の前に生きている人に願いをかけてもめったにかないませんよね。
 
しかし、神格化した人々の中には絶対的ご利益で評判になっている祭神があります。
その真価を問う時には、自らの願いの中身と、自分自身の生き方、姿勢、努力の度合いを勘案しなければならないでしょう。
 
どのような神も実効性のない願いは聞き届けてはくれないのです。
人間相手の願いでも同様。運命の流れを汲み取って、自分で自分を律する努力をまずは大事にしてください。
そのうえで願掛けを行うのであれば、ご縁のある神社を選んで、具体的な願いを届けることをおすすめします。