十二支の漢字の由来

十二支の意味

中国の文化が芽生えたのは、今から四千年から五千年の昔と伝えられています。

その時代には夕方の空をみると、北斗七星が地球から出かかっていて、地平線にほぼ垂直になっていた(現在では一月にこのような状態になる。天の北極および春分点が移動すること)その形を一月の記号にしたのが、段々と形が変化して子になり、旧暦の二月が現在のほぼ三月に当たる。地中から草の芽が出てくる。それが二月になり、

三月は萌えでた芽が地中に根を張っている姿。

四月は、四月だからと棒を四本並べ。

五月は大火という赤い一等星(さそり座アルファ星)が日没後、真南に見えている、これは前述の歳差により、春分点がずれたことによる。この状態を表したもの、中央縦の線は子(北)午(南)線を表した形。六月は山野に蛇が横行しはじめる時期。その蛇を表したもの。七月は暑さが最高になる、なんて暑いんだ、おてんとさまが二つでているからではないか。というわけで、七月は太陽が二つ並んだ形。八月は稲に穂が出てくる。その稲の形。九月はこの時期になると枝に実った柿が赤く色づいて、里の秋を飾ってくれる。枝の実った柿の形。十月は新米もとれて、それを使って酒を醸すことになり、その酒を醸す壺が十月となり、十一月は農作業も片付づいて、残るは冬に対する準備だけ、そこで斧をたずさえて燃料を用意する。斧を重ねた形であり、十二月は厳寒であり、山野で目につくのは木を切り倒したあとの切り株だけ、その状態が十二月となった。図、一部文章の抜粋は沖野岩三郎より、

橋本京明 

 

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